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MOGI

MOGI-CHAN

【モギちゃん】とは、現在私とパートナーの家で保護している猫のことです。

 

一ヶ月ほど前、偶然私たちの前に現れたやせっぽちの野良猫モギちゃんは、ノミに蝕まれていたため重度の貧血を患い、また精巣腫瘍を取り除くための手術をいま必要としています。

 

私たちにとって野良猫の保護ははじめてのことで不安なことや分からないことばかりですが、モギちゃんの "Forever Home" つまりこれからずっと一緒にいてくれるあたたかい家庭を探すこと、そしてそれまでの間全力でお世話をすることを決意しました

私たちだけでは資金面でも力不足なこともあり、どうかみなさまに医療費及び飼育管理費のサポートをお願いしたくこのページを立ち上げました。(2021年7月)

​モギちゃんは、私たちの腕の中で2021年10月13日に天国へと旅立ちました。

これまでのモギちゃんとの日々を、ここに残します。

どうか、私たちの経験が、誰かの勇気を出す一歩につながれば、誰かのあたたかい一言につながれば、そして一匹でも多くの野良猫の保護と幸せに繋がれば、そう願ってやみません。

​たくさんのあたたかいご支援、心より感謝しております。

​藤田ちひろ・福盛進也

May 11

May 11「出会い」

May 11

出会い

少し曇り空で、落ち着いた散歩日和の日。街の風景を写真に収めようと、近所に出かけました。なんてことのない普段の街並みを写しながら、細い路地に入った時のこと。風情のある小料理屋に目を奪われ、前を通ってみると、そこには小さくうずくまったオレンジ色の野良猫が。思わずシャッターを切ってしまいましたが、人間を警戒しているようだったので、適度な距離を保つようにしました。しかし不思議と逃げることなく、こちらを見つめていました。また会えるかな、と思いながらその場を後に。

June 9

June 9「もう一度会いに」

もう一度​会いに

​一ヶ月前に出会った茶トラ猫。今日もいるかな?と同じ場所を覗きに行ってみると、以前見た時に比べはるかに痩せ細り、ノミだらけになっている姿がありました。誰かが道路に撒き散らしたパンには手をつけていない様子。持ち歩いていたチュールを差し出してみると、目をギラッと光らせ勢いよく寄ってきました。あばらと背骨が浮かび上がった身体で、ガリガリと痛々しい咀嚼音を立てながら貪る様子に心が痛みました。

June 11

June 11「捕獲ミッション」

捕獲ミッション

家に帰るも、やっぱりあの子のことが忘れられませんでした。個人で野良猫の保護活動をしている友人に相談し、とりあえず区の保護団体に一度連絡をしてみることにしました。猫の状態をできるだけ細かく伝えると、とにかく早く病院に連れていったほうがいいでしょう、と。日程を決めて一緒に捕獲してくれることになりましたが、当日待ち合わせた時間にその子は全く現れず。数時間後に私たちだけでまたトライすることになりました。その日の午後3時ごろ、貸してもらった捕獲器を抱えて現場に行ってみると、いつもの場所から少し離れた住宅街の小さな路地にあの子が。懐いているわけでもない野良猫なんて素人が捕まえられるのだろうか。不安と怖さで心臓がドクドクしているのが自分でもわかりました

そろりそろりと中腰で近づきながらチュールの袋を見せびらかすと、2日前と同じように目をギラギラさせて寄ってきました。ステンレスのお皿にたっぷりチュールを盛り、捕獲器の中に置きます。私たちの一連の動きを追いながら、その子は明らかに警戒している様子。でも空っぽのお腹を満たしたい欲求には勝てないようで、5分もすると自ら捕獲器の中に前足を踏み入れました。少しずつ少しずつ、ゆっくりと踏板の奥にあるお皿に近づいていきます。そして、お尻が完全に入った瞬間、いまだ。。。!素早く後ろの扉を閉じました。一瞬の出来事にびっくりしたようでしたが、厚手の大きな布を捕獲器全体にかぶせてあげると、鳴くことも暴れることもなくじっと大人しくなりました。私の心臓はまだドクドクしていました。

ほんの少しだけ重くなった捕獲器を持ち上げ、近くの大通りでタクシーを拾い、事前に連絡をしていた動物病院へ早速向かいました。そこは都内でも数少ない、野良猫も診てくれる先生がいる、と保護団体の方が教えてくれた病院です。野良猫は診てくれない病院がほとんど、という厳しい現状。そんな中、先生はその痩せ細ったノミだらけの子を見るや否や素手でガシッと押さえ、テキパキと処置をこなしていきました。今までも色んな子たちを診てきたんだろうな、そう思わせるような手際の良さでした。採血をしたところ、ウイルスは陰性、猫エイズにもかかっていないことがわかりました。ただ重度の貧血で、血液中に赤血球が占める割合を測定する【ヘマトクリット値】があと少しでも低かったら、いつ死んでもおかしくない状態だったそうです。すぐに鉄分剤を飲ませ、駆虫の薬を塗ってもらいました。今日のところの処置はこれでおしまい。

高カロリー・高タンパク質の特別療法食の缶詰と薬を3日間分出してもらい、お会計を済ませました。

その夜は保護団体の方も空いていないと聞いていて、週末だけでもうちで預かるしか選択はありませんでした。猫アレルギーの私たち、そして本来ペット禁止の賃貸住宅。不安だらけでしたが、行く場所のないこの子を放っておくことはできませんでした。病院で借りた小さなケージにその子を入れ、​何の用意もない自宅に向かいました。

June 13

June 13「"モギちゃん" の保護を決意」

"モギちゃん" の保護を決意

1日3回の食事とお薬の準備、おしっことうんちの掃除、タオルの取り替えやノミの処理など、はじめて経験する野良猫の世話に奮闘しながら、同時に保護団体の方のみならず、区の生活衛生課や東京都動物愛護相談センターに今後のことを相談しはじめました。助けが必要な動物を捕獲したのだから、ここからは専門の方々の出番でしょう。そんなふうに思っていました。しかし現実は全く違いました。区では避妊・去勢手術費用の助成制度はあるけれど野良猫は引き取れないこと、動物愛護センターにたどり着いた動物たちには猶予が二週間もないこと、保護団体はどこも手一杯だということ。

どうしていいかわからず、保護活動をしている友人につい愚痴混じりの弱音をはいてしまいました。すると彼女は「その子は保護団体や区が助けたいと思った猫ではないよ。あなたが助けたいと思った子なんだよ」と。ハっとした瞬間でした。

もちろん、動物保護活動を社会全体でサポートできるようなシステムを作っていくことが、これからの国の課題であるということに間違いありませんが、そう願う人がまず一歩を踏み出さず何が変わるのでしょう。

「名前、どうしようか?」

私たちの中で、そもそも既に答えは出ていたのかもしれません。

その時ちょうど見終わったドラマの登場人物に、怪我で一度はどん底に落ち、それでもあきらめずに突き進みトップに這い上がった陸上選手がいました。その選手名から、私たちは名無し猫のことを【モギちゃん】と呼ぶことに。そしてモギちゃんが元気になるまで責任を持って最後まで面倒を見ようと心に決めました。

June 14

June 14「共同生活のはじまり」

共同生活のはじまり

はじめのうちはシリンジを使っていた食事も自力でもぐもぐと食べれるようになり、身体中にうようよしていたノミもパタパタと死んでいき、ようやくモギちゃん自身もいくらかリラックスできるようになった様子でした。安心していたのか、単に威嚇する力もないほど弱っていたのかはわかりませんが、頭を撫でれば気持ちよさそうに目を細め、かさかさの細い尻尾を小さくパタパタとしたりしました。日に日に回復していくモギちゃんをそばで見ながら、私たちは微笑まずにはいられませんでした。しかし、これから元気になるまでどのくらいかかるだろう。かろうじて数日分ほどのペットシーツは買っていましたが、トイレもキャットフードも用意がなければ、このケージだって病院にそろそろ返さなくてはいけませんでした。家にある古タオルと段ボールをかき集めながら、いよいよペット用品を一式揃えなくては、と思い始めていました。

June 15

June 15「猫っぽく」

​猫っぽく

処方してもらった3日分の薬がなくなったので、追加で2週間分をもらいに病院に出かけました。だいぶ元気になってきました、と伝えると、先生は冗談っぽく驚いたような声で「あら、ほんと!」と言い、にっこりしました。ガリガリという咀嚼音の原因となっていた口内炎を治療するための【プレドニゾロン】というステロイド剤、貧血を治すための鉄サプリ【プロラクト鉄タブ】、そして免疫力をあげるための【アモキクリア100】という3種類の薬を処方してもらいました。

病院の帰りにスーパーに寄り、トイレセットや動物用のウェットシート、そしておもちゃのねこじゃらしを買って帰宅しました。野良だった子だからトイレの躾は時間がかかるだろうとそれなりの覚悟をしていましたが、驚いたことに一度も粗相をせず、おしっこもうんちもちゃんとトイレの中でしてくれました。撫でさせてくれることや、噛んだりしないこともあって、もしかしたら飼い猫だったのかもしれない、と思うようにもなりました。本当のことは誰にもわかりません。ただ、今まで辛い日々を送っていた、ということだけは間違いないでしょう。

小さなケージに閉じ込めたままでは不憫だなと思いつつも、まだ身体にはノミの死骸やフンがこびりついていて、とても家中を歩かせられる状態ではありませんでした。でもストレスを溜めてほしくないし、運動もしたほうがいいだろうと、食事の時はケージから出してあげたりしました。

ご飯を食べたあとに、はじめてねこじゃらしで遊ぶ姿を見て、私たちは思わず「なんか猫っぽいね」と。

やっと少し、私たちも安心した気持ちになりました。

June 17

June 17「​専用の部屋​​」

​専用の部屋

猫初心者の私たちに救世主が現れました。捕獲から保護に至るまで常に気にかけてくれ、毎日のように激励の言葉をかけていてくれた友人が、「いずれ買う予定だったから、先に使って」と立派な2段キャットケージを購入し、私たちの家に送ってくれたのです。彼女は、私たちがモギちゃんを保護しようと決意する勇気をくれた人です。

ささいな質問にもいつも親身になって答えてくれ、初・猫レスキューを経験した私たちにとって、いつも的確なアドバイスをくれた彼女の存在は本当に大きいものでした。

そんな彼女の思いやりある計らいで届いたケージも、なかなかの存在感を放ってくれました。小一時間かけて組み立て、早速トイレを置き、けりぐるみを添えてベッドも用意しました。私たちの元に来てから一週間。ようやくモギちゃん専用の居場所ができました。

June 22

June 22「反抗期」

​反抗期

口内炎が落ち着き、ノミも取れ、ごはんも食べて体力がついてくると、次第に元の野良猫感覚を取り戻したかのように、モギちゃんは私たちを威嚇することが多くなりました。ごはんをくれるのはこの人たち、うんちを片付けてくれるのもこの人たち、という事実は認識しているようですが、どうも距離が縮まらないのです。今まで何も言わず撫でさせてくれていたのに、手を近づけると急に爪を立てて手を出すようになりました。このままでは人と一緒に暮らすことが難しくなってしまう。「猫 なつかせる」「猫 威嚇 なんで」「猫 仲良くなるには」などど、ネットを手当たり次第調べましたが、実践してもなかなか思うようにいきませんでした。

ある日、100円ショップにてペット用品を物色していたところ、全く関係のない場所に陳列してあった孫の手に目がとまりました。これはもしかしたらいけるかもしれない、とダメ元で買ってみることに。帰宅後、早速頬のあたりに孫の手を伸ばして撫でてみると、なんとも言えない表情を見せてくれました。しばらくはこの長さ20cmを守ることにしました。

June 28

June 28「ブレイクスルー」

​ブレイクスルー

なかなか距離が縮まらない日々が続きました。しかしある日、私たちは気づいたのです。威嚇したり手を引っ掻こうとするのは、私たちがその度に手を素早く引いてしまうからじゃないかなと。試しに引っ掻かれるのを覚悟に、そのまま引っ込めず動じない姿勢をとってみました。すると、モギちゃんは手を出したまま爪をひゅっとしまい、きょとんとした顔でこちらを見てきました。その日を境に、目つきもいくらか和らぎ、あまり威嚇をしなくなりました。ようやく私たちのことを、害のない同居人くらいに見てくれるようになった気がしました。

July 1

July 1「腫瘍」

​腫瘍

モギちゃんを保護してから3週間近く経ち、薬がなくなったので、再検査も兼ねてモギちゃんを病院に連れていきました。先生は相変わらずの仕事っぷりで、手際良く採血をし、モギちゃんの身体をくまなく見ていきました。すると先生は、「あれ、この子去勢されてないかもしれない」と漏らしました。よくよく見ると通常の位置から少し離れたところに小さなピンポン玉くらいの大きさのものがあると。正常であればすぐに確認できることだったのですが、モギちゃんの場合はそうではなかったようです。そして更に先生は「これは腫瘍だね」と付け加えました。心臓が飛び出てしまうんじゃないかと思うくらいドキっとしました。

悪性か良性か、転移しているかどうか、治療が必要か、もう手遅れか。

手術をしてもわからないこともあるけど、取らないわけには前に進めない、とのことで、まずは去勢手術を勧めてくれました。私たちとしてはすぐにでも摘出してほしい思いでしたが、肝心の貧血がまだ改善しておらず、ヘマトクリット値が35まで上がってくれないと手術はできないと言われました。この時のモギちゃんの数値は21でした。

やっと懐いてくれて一安心と思った矢先、新たな心配事ができてしまいました。

July 11

July 11「甘えん坊」

​甘えん坊

病院で発覚した腫瘍のことで、私たちのプランも少し変わってきました。貧血が治ってもう少しふっくらして毛もちゃんと生えそろったら里親募集をはじめよう、というのが当初の計画でしたが、これに、去勢手術をして精密検査をクリアする、という大きなステップも加わりました。

肝心のモギちゃんは、私たちの不安な思いをよそに、日に日に甘えん坊に進化していきました。ソファに寝転んでいるとおなかの上にのぼってきて何時間も昼寝をしたり、仕事をしていると膝の上にぽんっと飛び乗り、かまってほしそうに鳴いたり。眉間を撫ででやるととろんとした表情になり、いびきをかいて寝たりすることも増えました。もともと食べ物に目がないようでしたが、さらに食い意地も張って、体重も少しずつですが増えてきました。これだけ元気なんだからきっと大丈夫、そう私たちも思うようになりました。

July 12

July 12「願い」

​願い

モギちゃんは独特の声を持っています。早朝には「早く来いー!」と言っているかのようにカラスに似た濁声で私たちを起こします。ごはんを用意している時には「早く!早く!」とせかすようにウワーと声を張ります。眠くなると目を細め、聴こえないくらいの小さな声でミャッと鳴きます。眠りこけている時は、クーックーッと人間のようないびきをかいて私たちを笑わせます。かまってほしい時には、ごろんと転がりおなかを見せてニャオーと甘えます。本当に表現豊かな猫です。

私たちの願いは、運命の飼い主さんとこれからもこんなふうに自由に毎日を生き続けてくれることです。

人間社会の中で弱い立場にいる​モギちゃんのような野良猫は、私たちがほんの少しの勇気と愛情を持って行動するだけで見違えるほどの輝きを取り戻すのだと、今回改めて痛感しました。

そんなことを教えてくれたモギちゃんに感謝するとともに、モギちゃんが残りの"猫"生を幸せに過ごせることを心から切望しています。

この願いを叶え、野良猫の現状や保護猫のことがもっと沢山の方々に伝わるよう、どうかご支援お願いします。

*PayPalの【アカウントの作成】から簡単にご支援いただけます。

July 29

July 29【追記】長い道のり​​

​【追記】長い道のり

モギちゃんのことを知ってくれて、ご支援いただいたみなさま、ありがとうございます。

家族や仲間、中には会ったこともない方々からもお気持ちをいただき、これだけモギちゃんの命を大切に想ってくれる人がいることに、私たちの胸も目頭も熱くなりました。

きっと見違えるような美しい猫になってくれるはず。そんなふうに思わずにはいられませんでした。

ただ、里親募集に出すからには、まず腫瘍をどうにかしなくては。

残念なことに、先週受けたチェックアップではヘマトクリット値は21から22に上がっていたものの、35という合格ラインからは程遠く、まだ手術は受けられないと判断されました。腫瘍の進行状況や治療方法、そして何よりも私たちが今できることは何なんだろう。モギちゃんにとってより良い方針を立てるため、私たちは知り合いから紹介してもらった病院にセカンドオピニオンを聞きに出向きました。

「良性ではないわね」

​そこで先生が発した言葉に、心が沈みました。

やはり腫瘍は悪性のようで、おそらく癌でしょうと。ただ、食欲もあってこれだけ元気なのだから、転移している可能性は低いかもしれない。綺麗に腫瘍を取り除くことができれば、まだまだ生き続けてくれるかもしれない。そう先生はおっしゃいました。やるせない気持ちと遠くにほんのり輝く希望の光が混じって、涙が出そうになりました。

モギちゃんの今一番の課題は、栄養をたっぷり摂って手術のできる体になること。私たちができることは、栄養たっぷりのごはんを与えて、愛情たっぷりのお世話をしてあげること。それだけが明確になりました。

まだまだ、モギちゃんの回復への道のりは長くなりそうですが、モギちゃんのキラキラしたまんまるの瞳を見ていると、必ずゴールにたどり着ける気がしています。これから最低でも2,3ヶ月は私たちと一緒にいるであろうということ、今までよりも栄養価の高い食事を用意すること、そして手術費やお薬代などを考え、現時点での目標金額を設定させて頂きました。

​ご支援、どうか引き続きお願いいたします。

August 22【追記2】待ち望む明日

August 22

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​【追記2】待ち望む明日

モギちゃんのことを書いてから一ヶ月が経ちました。その間にたくさんの方々から、あたたかいご支援と励ましの言葉をいただきました。言葉だけではありません。SNSでモギちゃんのことを拡散してくれたり、キャットフードやおやつを譲ってくれたり、小さな女の子からモギちゃんの似顔絵をいただいたりもしました。モギちゃんに会ったこともない人たちがこれほどまでに想いを寄せてくれていること、手を差し伸べてくれることに心から感動しています。

そんな眩しいほどのエネルギーを身体めいっぱいに吸収するかのように、モギちゃんは日に日に元気に大きくなっています。つい先日病院に行った時に測った体重はなんと4.1キログラム。捕獲時から1キロも増えました。どうりでお腹がまんまるになってきたわけです。骨でごつごつしていたお尻まわりもいくらか肉がついてきて、地肌が見えるほど抜け毛がひどかった背中や手足も、今はこんがり焼けたトーストのような綺麗な茶色の毛に覆われています。

ただ残念なことに、肝心のヘマトクリット値は上がっていませんでした。

むしろ、前回の22という数値から更に下がって18になっていたのです。

こんなに元気になったのに。

モギちゃんの生命力に身体がついてきてくれないことに、わたしたちはどうしようもなく悔しい気持ちになりました。

貧血がなかなか治らない理由は詳しくはわかりません。もしかしたら腫瘍のせいかもしれないし、他の病気が併発している可能性もある、と先生は神妙な面持ちで言いました。そして、思い切って薬を変えてみて、また一ヶ月ほど様子を見ようということになりました。

夏が終わる頃にはモギちゃんの腫瘍も取れて、里親募集に出してあげられるかなと思っていましたが、それももう少しお預けになりそうです。

モギちゃんの横顔を見ていると、サヴァンナで気持ち良さそうに黄昏ているライオンを思い出す時があります。そのビー玉のような瞳でどんな明日を思い描いているんだろう。

思ったよりも時間がかかりそうな本ミッションですが、なんとかモギちゃんの猫生の新しいチャプターを早く開いてあげたい気持ちでいっぱいです。どうか引き続き応援をお願いいたします。

October 4

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October 4 【追記3】最後の決意

​【追記3】最後の決意

それなりの覚悟をしていたつもりでした。

前回の診察から1ヶ月ほど経った9月中旬、血液検査を受けに再び病院に訪れました。まず触診をしてもらうと、明らかに腫瘍は大きくなっており、近辺に転移しているとみられていた小さなしこりの集まりも、今では目で見てもわかるほどボコボコっと浮き上がっていました。先生は「もう手術は意味がないかもね」と、残念そうにつぶやきました。今までの冗談交じりの口調ではありませんでした。見える範囲で腫瘍を取り除いたとしても、もう身体中に転移しているだろうから取りきることは不可能だし、そうなると手術自体がモギちゃんの負担にしかならないそうです。

相変わらず貧血はしつこく、ヘマトクリット値は前回とさほど変わらず19という数値でした。

その日はいつもの鉄剤に加え、とりあえず現状出来ること、という診断で腫瘍の進行を遅める薬を処方してもらいました。

何がモギちゃんの身体をこんなに蝕んでいるのか。

私の胸にも何か重い鉛のようなものが沈んでいるような気さえしました。

長い雨が続き、ようやくすっきり晴れた穏やかな秋空が広がっていたというのに、どうしても顔を上げることができませんでした。

捕獲から保護までずっと親身になってアドバイスをしてくれていた友人に、「手術もできないし、貧血の原因もわからない。こんな状態だけど、もしかしたら早く里親探してあげたほうがいいのかな?」と嘆くと、即座に「専門医にセカンドオピニオンをもらいにいったらどう?」と。彼女の的確な言葉は、焦りが募ってついつい感情的になってしまう私の頭をいつも冷やしてくれます。猫カフェを営んでいる知人が様々な病院を知っているとのことで、猫のがんの専門医を紹介してくれることになりました。

これで何か糸口が見えるかもしれない。行き詰まった私たちに、小さな光が見えた気がしました。

それが例えどんな光だったとしても、いまの私たちには道しるべが必要だったのです。

朝からザーザーと雨が降りしきる金曜日。

夕方になっても雨は一向に止まず、日にちを改めようと諦めかけていた時、ふと見上げると窓がふんわり明るくなりました。よし、今から出よう、そう決断した時、時計はちょうど午後5時半を指していました。診察は7時までです。

私たちは急いで支度をし、タクシーを呼びました。病院は自宅から1時間ほど離れた場所にあるのです。

 

6時45分ごろ、なんとか私たちは受付時間内に到着しました。

広々とした清潔なロビー、優しく声をかけてくれるスタッフの方、いくつもの診察室と処置室。

なんだか少し希望が湧いてきた気がしました。

診察終了間際の静かなロビーで、私たちは先生に呼ばれるのを待ちました。

しかし、そんな希望も検査の結果表とレントゲンの写真を説明してくださる先生の前で、少しずつ少しずつ、音をたてながら私の中で崩れていきました。

​モギちゃんは肝臓がんだったのです。

レントゲンに写る、身体の大半を締めている白い影は通常の二倍以上の大きさに膨れ上がった肝臓。

エコーにはその肝臓の付近で出血していることを表す黒い影もいくつか確認できました。重度の貧血がなかなか良くならないのはこれが原因だったのです。たまに吐いていた黄色い痰は、その大きな肝臓に胃が圧迫されて押し出されたもので、たまにうんちの表面に付いていた血は、臓器の間で出血していたからでした。

癌細胞は、ほぼ全身に広がってしまっている状態です。そう先生がおっしゃいました。

今後の治療方針などを話しながらも、今にも決壊しそうな感情を押し殺し、喉の詰まりを必死で堪えました。

こんなにボロボロな身体だったなんて。

そんなことも感じさせないくらい、モギちゃんはいつも呑気にくーくー寝ていて、起きれば大きな声でごはん食べたいってわめいて、満腹になったら大きなうんちして、満足そうに毛繕いしはじめたと思ったらソファでまたうたた寝して。

せっかくノミもいなくなって、毛も生えてきたのに。せっかく体重も増えたのに。

せっかくこれからの猫生を全うしてもらえるよう、私たちも頑張るって決めたのに。

どうしてこのまま生きられないんだろう。

帰りの電車のなか、どうやっても涙が止まりませんでした。

拭いても拭いても、涙は、底無しの失意からどんどん溢れてきてしまうのでした。

家に帰ると、疲れがどっとやってきました。

そんな私たちを横目に、モギちゃんは家に着いたことがわかると、キャリーからのそのそと這い出し、ひとりで階段をとことこと上っていきました。そしてケージの上段に置きっぱなしになっていた余ったごはんを見つけるや否や、目をギラっと光らせ一目散にボウルの前に飛び乗り、がつがつとすごい勢いで食べ始めました。

ふと、初めてモギちゃんにチュールをあげた時のことがフラッシュバックしました。

表情はいくらかやわらかくなったものの、あの時感じた「生きることに必死」になっている姿はなんら変わっていなかったのです。

ハッとしました。

モギちゃんはまだここにいる。

そして過去や未来なんて関係なく、今を必死に生きようとしてる。

頑張っているモギちゃんの側で、涙を流すことがどれだけモギちゃんの今ある命に失礼か。モギちゃんの生命溢れる横顔を見て、思い知らされました。そう、こちらがメソメソしている場合じゃないのです

私たちは改めて決心しました。

これからモギちゃんがモギちゃんの猫生のなかで最も幸せを感じてくれるような日常を与えることを。美味しいごはんをたらふく食べ、あたたかい毛布の上で寝たいだけ寝て、鳴きたいだけ鳴いて、飽きるまで甘えて、そんな最期を送ってもらえるよう、全力を尽くそうと心に誓ったのです。

これまでモギちゃんのことを知ってくれて、気にかけてくださり沢山のサポートをしてくださったみなさま、本当に本当にありがとうございます。みなさまのあたたかいお気持ちはモギちゃんの目をいっそう輝かせてくれています。その瞳が静かに閉じるその日まで、どうか引き続き見守ってくださったら嬉しいです。

​それが、わたしたちからの最後のお願いです。

October 13

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October 13【追記4】トンネルの向こう

​【追記4】トンネルの向こう

タクシーが高速道路に入ると、モギちゃんはいっそう苦しそうに目の前の空気を必死で吸い込みました。細くて小さな両手がピンっと硬直し、瞳はめいっぱい開き、どうにか酸素を身体に送ろうと大きく口を開けてもがいていました。

 

***

モギちゃんの容態が急に悪化したのは、13日の朝でした。いつもなら6時くらいからカラスのような「あう〜!あう〜!」という声が聞こえてくるはずなのに、その日は物音さえしなかったのです。私が目を覚まし2階の部屋に上がったのは7時ごろ。ドアを開くと、モギちゃんは扉にぴったりとくっついていたようで目の前に横たわっていました。ここに居たらそろそろふたりが自分のところに来てくれる。早く来て欲しい。そんなふうに思っていたのかもしれません。

モギちゃんは、立ち上がると少しかすれた声で小さく「わーー」と鳴き、ごはんをおねだりしました。

前の日の夜にはもっと大きな声で、近所迷惑になるくらい、一生懸命お腹の底から声を出していました。

11日はモギちゃんを保護してからちょうどまるまる4ヶ月、13日は私たちがお世話をしようと決意した日から4ヶ月。だから12日はモギちゃんとの4ヶ月記念をお祝いすることにし、私たちはお酒を、モギちゃんには1缶400円の高級なドイツのキャットフードをご馳走したばかりでした。明日も食べようね、って残りを冷蔵庫に入れて。

小雨が降る薄暗い朝、少量パックのカリカリをお皿に盛り、食べている様子を見届けると私はいったん1階の寝室に戻りました。

再びふたりで2階のリビングにあがったのは8時半ごろ。妙な静けさのなか、何かが普段と違う、と思いながら階段をのぼりました。扉を開けるとモギちゃんはソファの上に寝転んでいました。昨夜のごはんをレンジに入れると、察したのかソファからゆっくり降りて近寄ってきました。肝臓がんと診断されてからの薬はカプセル剤と粉薬。レンジから出したごはんに薬を混ぜ、お皿を床に置いてやると、最初はモグモグとほおばっていたものの、半分くらいを食べ終わると、モギちゃんは口を動かすのをやめてしまいました。おかしいな、いつもだったらこのくらいの量なんてすぐ平らげて、おかわりをおねだりされるのに。

モギちゃんはおもむろに立ち上がると、またソファの近くまで歩いていきました。なんだか足がおぼつかない様子でしたが、上りたそうにしていたので抱っこをして乗せてやりました。すると、シャーっという音とともに白いソファカバーが黄色く染まっていったのです。うちに来てはじめての粗相でした。

おかしい。おかしい。

この状態でジャンプをさせるのは危険だと感じ、私たちは急いで2段ケージを片付け、モギちゃんをいったん床に座らせました。薬が混ぜてあるごはんだったので完食してほしく、ふちについたごはんをスプーンですくって口元に持っていってやると、薄ピンク色の舌でぺろぺろと弱々しく舐めました。

その時、後ろ足を立てようとしたモギちゃんが、急にぐらんっとふらつきました。

やっぱりおかしい。

私たちは慌てて横になれるベッドを用意し、タオルを沢山敷いてその上にモギちゃんを寝かせました。

ふんばる力が無く、急に身体もぐったりしていました。立ちたいという意思はあるのに、身体が思うように動いてくれず、何度もベッドから出ようとしてはすぐにパタンと倒れてしまいました。

ここから、モギちゃんがもだえ苦しむ状態になるまで1時間もかかりませんでした。

けだるい顔が次第にこわばっていき、鼻呼吸から口呼吸に変わり、よだれが垂れてきました。次の瞬間には痙攣が起き、ついには手足をバタバタとさせながらもがきはじめました。5秒ごとに大きく口をあけてンガッという音とともに苦しそうに息を吸い、凍りつき、再び手足を震わせました。まるで水の中で溺れてしまっているようでした。

そんな苦しむモギちゃんをそばで必死になだめながら、抱きしめながら、もう私たちも限界でした。

命の灯火が、消されかけようとしているのを感じとってしまったのです。

「いいよ、もう苦しまなくていいよ、十分頑張ったよ、モギちゃん大好きだよ、幸せだったよ、私たちに出会ってくれてありがとう、モギちゃん、ありがとう、ありがとう」

そんな言葉がぽろぽろと涙と一緒に溢れてきました。

これ以上、こんな姿を見続けたくありませんでした。

でもモギちゃんはそれでも一生懸命、息をしようとしています。

大きく目を見開き、今までみたことのないくらいに口を大きく開き、息をしようとしているのです。

私たちはどうしていいかわかりませんでした。

​意識はまだ朦朧としているようだったものの、モギちゃんの呼吸が少しだけ落ち着いたので、先生に急いで電話をしました。電話ごしに泣きじゃくる私に、先生は落ち着いた声で「重度の貧血で、低酸素状態になっていますね。もし連れてこれそうなら来てください。増血剤を打つことはできます。」と仰ってくれました。今すぐにでもモギちゃんを楽にしてあげたい。でも病院は家から1時間も離れています。長距離の移動に耐えられるのだろうか?お家でこのまま寝かせてあげた方がいい?苦しい状態がずっと続いたら?混乱が頭の中を埋め尽くしました。何が正しい判断なの?

午後1時15分ごろ。

何度か発作を繰り返し、病院へ連れて行くタイミングを探していた時。

思わず横に目をやると、モギちゃんはすとんと一瞬落ち着き、身体を少しだけゆるませ、手足をしなやかに動かしはじめました。ふわふわと、まるでどこかをお散歩しているように。

午前の診療時間は既に終了していましたが、私たちはもう一度病院に電話をし、今からそちらに向かいますので緊急で入れてください、と懇願しました。ペットシーツやタオル、おやつなどをバッグに詰め込み、モギちゃんと私たちはタクシーに乗り込みました。

雨の中を走るタクシーの中で、キャリーから半分顔を出した状態のモギちゃんに、私たちは一生懸命話しかけました。「もう大丈夫だよ、もうちょっとしたら楽になるよ、大丈夫だよ、モギちゃん」その呼びかけを信じてくれたのか、モギちゃんはようやく鼻で少し呼吸をしはじめました。頬を撫ででやると、さっきまで焦点が合っていなかった瞳が私の瞳と合い、モギちゃんはいつものように目をゆっくりと細めました。モギちゃんがそこにちゃんと居ました。

「もうすぐ高速に入ります」そうつぶやいた運転手の声を聞き取った次の瞬間、モギちゃんが急にまた痙攣しはじめました。目と口が大きく開き、今にも吐きそうなほど舌が力み、手足がピンっと硬直しました。ンガッ!ンガッ!と引きちぎるように首を伸ばしながらもだえ、悔しそうにグゥァァアー!っと声を上げ、身をよじらせました。私たちも答えるように大きな声でモギちゃんに呼びかけました。「モギちゃん、大丈夫だよ!モギちゃん!モギちゃん!」

その時、車内がふっと急に暗くなりました。高速道路のトンネルに入ったのです。

オレンジ色のライトが等間隔で車内をパッッパッッと照らします。その度にモギちゃんの瞳がキラッキラッと反射します。私たちは長いトンネルの中を走りながら、モギちゃんの頬とおなかを撫で続けました。

すると、いつもの声が暗闇の中から聴こえてきました。

「ンニャ」

モギちゃんも私たちに答えたのです。

病院までもうちょっとだからね、着いたらすぐに先生に診てもらおうね、楽になるからね、そう言い聞かせました。

あれ?・・・モギちゃん?

ふと、モギちゃんのお腹が動いていないように感じました。モギちゃんの鼻息が出ていないように感じました。

私の胸はドクッドクッと生々しい音を立て、激しく上下しました。すぐさまモギちゃんの顔に近づき、眉間や頬を撫でてやりながら瞳が反応しているか確認しようとしました。しかし一瞬だけしか光の当たらない暗いトンネルの中では、うまくモギちゃんの顔が見えません。ライトが当たるたびにキラッと光る瞳の中を一生懸命見つめるも、すぐに暗くなってしまいます。私たちは焦りました。なかなか終わらないトンネルにどんどん苛つきがたまっていきます。

「モギちゃん!モギちゃん!」目の前に横たわるモギちゃんの生命をどこかに見つけようと、私たちは暗闇の中で必死に呼びかけ続けました。

顔を上げると、わずかな光が見えました。もうすぐトンネルが終わります。

モギちゃんの顔を見ながら、今か今かと、私たちを乗せたタクシーが暗闇を抜けるのを待ちました。

すると、ぱっと車内が明るくなり、大きな白い空が頭上に広がりました。

私たちはモギちゃんの顔を見つめました。モギちゃんの瞳は一点を見つめたままでした。

待って!

モギちゃん!モギちゃん!モギちゃん!・・・モギちゃん!!!

私たちは声を枯らしながら何度も叫びました。

丸く固まってしまった小さな手を取り、私たちはお互いを見て泣き崩れました。

そっと握っても、もう、いつものようにきゅっと握り返してくれなかったのです。

2021年10月13日、午後2時すぎ、モギちゃんはわたしたちの腕の中で静かに息を引き取りました。

***

モギちゃんは本当に優しい子です。

だって私たちふたりがちゃんと揃っている日を選んでくれたんです。

旅立ちの日には一緒に泣けるように雨を降らせ、お葬式には虹の橋がすぐ見つかるようお月様を輝かせました。

優しくて、可愛くて、甘えん坊で、食いしん坊で、なにより真っ直ぐな子でした。

こんなに重い病気を抱えていたのにもかかわらず、モギちゃんらしくない時なんて一度としてありませんでした。一生懸命食べて、一生懸命甘えて、一生懸命鳴いて、一生懸命寝て。生きていることを、自分のものにしていたのです。

そんなモギちゃんと一緒に過ごせた時間は、私たちにとってかけがえのないものでした。

たった4ヶ月でしたが、長い間共に暮らしてきたような、大切な大切な家族でした。

たくさんの思い出とともに、あたたかい安らかな気持ちと苦しいほどに愛おしい想いを残してくれました。

モギちゃんは、私たちのたからものです。

これからも、ずっとずっと。

モギちゃんのことを知ってくださり、想いを寄せてくださり、ご支援くださったみなさまに心より感謝申し上げます。

猫を飼ったこともない、猫アレルギーの私たち(だけどモギちゃんに対しては何故か一度もアレルギー反応が出ませんでした)が過ごしたこの4ヶ月は、みなさま無くてしてはありえませんでした。金銭的なサポートは私たちの焦りをやわらげてくれ、物質的なご寄付はモギちゃんのお腹をたんと満たし、あたたかいメッセージやアドバイスはモギちゃんと私たちの絆をよりいっそう強くしてくれました。

みなさまひとりひとりへ、最大の「ありがとう、さよなら、またね」を、モギちゃんから預かっています。

最後にモギちゃんが発した「ンニャ」はそんなメッセージだったんじゃないかなと思うのです。

今モギちゃんは、小さな小さな骨壺のなかで、大人しく私たちのそばにいます。

お供物のチュールやカリカリはもう既に平らげてしまっているでしょう。

そして、こちらを見つめて聞こえないほどの小さな声で「ニャ」と鳴きながら、私たちをずっと見守ってくれています。

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